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宿坊の歴史

駒鳥山荘は東京都青梅市御岳山(みたけさん、御嶽山とも書きます)にございます、御師(おし)の経営する宿坊旅館です。

創業は安永五年(西暦1776年)、江戸時代中期より当初は武蔵御嶽神社への参拝者専用の宿として営業をいたしてまいりました。
「宿坊」といいますとお寺さんをイメージする方もいらっしゃるかもしれませんが、当方は神社に併設された神道式の宿坊です。

宿坊のはじまり

江戸時代になり「伊勢まいり」に代表されるような農民や商人を中心とする神社参詣が全国的に流行しました。
御嶽神社も同じく流行の波に乗り、関東各地で参拝者の集団「講(こう)」を組織しました。一時は関東平野全域にその信者を獲得し、大いに発展いたしました。
私たちが宿坊と名乗りだしたのもこのあたりからだと考えられます。

御岳山には現在でも30件ほどの宿坊が存在し、それぞれ講を持っています。
今日では広く一般に参拝の皆様をはじめ、登山やレジャーに訪れたお客様の旅館として営業いたしておりますが、年末年始や春になりますと江戸時代から続く講の皆様が、集落の安全や農作物の豊穣を祈念するべく、祈祷にいらっしゃいます。

宿坊を経営するものを御師(おし)とよびます。全国では おんし と発音するところもあります。「御祈禱師」の略とされ、全国に点在した神社講のお世話役として参拝のご案内をしたり、実際に信者のお宅へお札を配り歩いたりしています。
また、御岳山においての御師は、武蔵御嶽神社の神職も兼ねており、祭礼や日々の勤務もご奉仕しています。

朱塗りの長屋門(ながやもん)は当時の建築と伝わっております。
以前は茅葺でしたが、昭和年間に銅板葺きに改修いたしました。

江戸時代の参拝案内に「赤門の宿坊の御師」と書かれています。大きなしめ縄は宿坊の象徴です。


全国の宿坊

現在でも各地に御師は存在しますが、正式には明治になると国家の政策で御師は廃止されました。三重県の伊勢神宮の内宮の前に大きなおみやげ物屋さんが並んでおりますが、以前御師をしていた人がおみやげ物屋さんになったといわれます。

自然が創りだした壮大さや美しさに神々を見出す山岳信仰の代表格として富士山もかつてはその信仰の対象でした。全盛期には浅間大社は多くの参拝者・講をかかえ、静岡県や山梨県の富士の麓には現在でも御師の宿坊がございます。また神奈川県の大山阿夫利神社、長野県 戸隠神社の周囲にも御師が現存しています。

現在の駒鳥山荘

駒鳥山荘という名前は「日本野鳥の会」の創設者であらせられる中西悟堂 先生が、いい名前を付けようと考えてくださいました。中西先生がいらした昭和30年代にはコノハズク(ブッポウソウ)が良く鳴きました。
一時聞こえませんでしたが最近また良く鳴くようになりました。わたりの途中で1週間ほど聞くことが出来ます。

昭和30年代に「駒鳥山荘」と名前を改め一般の観光の皆様をお世話させていただくようになりました。それ以前は「西馬場(にしばば)」とよばれる宿坊でした。
御岳山の雄大な自然に面した立地のため野鳥観察はもちろんのこと、ハイキングでお立ち寄りいただく方や、レジャーにお越しになった方、ご家族連れの皆様など、国内外からたくさんのお客様にお越しいただいております。
都心からのアクセスも比較的良いため、日々の喧騒にお疲れになった皆様にリラックスしていただけますよう、一同営業いたしております。

駒鳥(こまどり)は名前のとおり馬(駒)に似た声で鳴きます。
「ヒン、カラカラカラ」。
夏の渡り鳥で、御岳山には5月の下旬から6月に掛けてやってきます。1週間ほどで移っていってしまいますが、鳴き声の美しさから日本を代表する三鳴鳥の一つに数えられています。

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